プラクティスが開く達人への道

マスタリー(熟達)とは、始めは困難だったことが、練習や実践を重ねるにしたがって、だんだんと簡単で楽しいことになっていく現象のことを言います。マスタリーを得るためにはプラクティス(習慣的な実践)が欠かせません。

プラクティスとは「道」のようなもの

SEOはプラクティスである、とはよく言われることですが、この「practice」という言葉を辞書で調べると、実に様々な意味を持った言葉であることがわかります。動詞としては、習慣的に練習する、習慣的に実施する、従事する、というような意味。名詞としては、実践、練習、稽古、習慣、といった単語が並びます。

僕たち日本人にとっては「プラクティスとは道である」と考えればわかりやすいでしょう。ここでいう「道」とは、文字通り旅の道程のことであり、また、柔道や剣道や書道の「道」でもあります。その道に専心することそのものが目的であり、ひたすら歩き続けることが楽しみであり、それを日々続けることに意味があります。

黒帯とは、永遠に続く道のワンステップにすぎず、一生学び続けていくためのライセンスにすぎない。

上は「もう黒帯を持っているのに道場に通い続けるのはなぜか」という成果主義的な問いに対して、武道におけるプラクティスの概念を答えたもので、「達人のサイエンス — 真の自己成長のために」(ジョージ・レナード著)の中に出てきた一節です。

成果主義的な考え方では、黒帯という成果を手にしたにもかかわらず練習を重ねることの意味を理解することは難しいでしょう。しかし武道などの世界においては、成果を得るためにプラクティスを実施するのではなく、あくまでプラクティスが先にあり、成果はあとからついてくるものです。成果主義とプラクティスは相反する概念なのです。

勝つことがすべてではない

成果主義では目標を持つことが欠かせません。まず目標を立て、その目標を達成するために必要なことを実施していきます。この方法でうまくいくことも多いでしょうし、この方法をとらざるを得ないシーンも実際に多くあります。しかしこの方法では、目標が達成できなかったときに問題が起こります。例えば次のようなものです。

  • それまでに費やした時間や努力が無駄になったように感じられる
  • より手段を選ばずに勝ちに行くようになってしまう
  • 再チャレンジのためのモチベーションを減少させてしまう

受検に合格することだけを目標に勉強していれば、受検が終われば合否にかかわらず燃え尽きます。大会で勝つことだけを目標に練習していれば、大会が終われば勝敗にかかわらず燃え尽きます。成果主義的な考え方は短期決戦には向きますが、長期間にわたって続いていくことには向きません。

ここで必要になる考え方は「結果はあくまでもその時点での結果にすぎず、日々続けていくプラクティスにこそ本質がある」というものです。勝つことがすべてではなく、続けることがすべてなのです。例えば、次のように考えるのがいいでしょう。

  • 結果を問われるシーンはマイルストーンにすぎず、その結果はその時点での結果にすぎない
  • 常に初心を忘れず、道の途中にいることを自覚し、謙虚にプラクティスを続ける

長い期間にわたって日々のプラクティスを続けていると(つまり「道」を歩んでいると)、その道には上り下りもあれば、試練と安らぎもあり、驚きと落胆があることがわかります。プラクティスは一見すると単調に見えますが、その道のりは決して平坦ではなく、発見と喜びに満ちているのです。

馬鹿になる自由

達人のサイエンス — 真の自己成長のためにここまで書いてきたことは、書籍「達人のサイエンス — 真の自己成長のために」(ジョージ・レナード著)で得た知見を元に僕の言葉で綴ってきたものです。この本では、様々な世界で「達人」と呼ばれる人たちがなぜ、どうやって達人となったのか、その精神や肉体の鍛錬など達人への道(マスタリー)について分析、解説されています。

ごく簡単に言えば「プラクティス」の重要性を説いた本であり、僕がこの本から受けた影響の大きさは計り知れません。その最終章のあたりに、「馬鹿になる自由」という言葉がでてくるのですが、ここは特に好きな部分です。

あなたの両親や同僚あるいは学校や社会が、遊び心を持ち、自由に振る舞い、馬鹿になることを許さなかったがために、失敗に終わってしまったことが何かなかったか少し考えてみよう。

馬鹿と思われるのではないかというおそれから、新しいことができなかったことがいったい何度あったろうか? 大人げないと思われるのではないかというおそれから、自分の自発性をみずから「検閲」してしまったことがいったい何度あったろうか? 何とも残念なことだ。

(中略)

「馬鹿になる自由」は成功の鍵の一つであって、それは幼児が言葉を覚えるのと同じくらい基本的なことである。

もちろんここで言う「馬鹿」というのは「愚か者」という意味ではなく、新しいものを何でも入れることのできる空っぽの状態のことです。常にまっさらな気持ちで、失敗を恐れることなく、初心を忘れないでいることが、プラクティスの姿勢であり、マスタリーへの道だということです。

この「馬鹿になる自由」というのは、この本のメッセージの中の一部にすぎず、他にも興味深いところはたくさんあったのですが、この部分は特に心にしみました。日々プラクティスを重ねていく上で、忘れずにいたい考え方が詰まっています。「達人のサイエンス — 真の自己成長のために」(ジョージ・レナード著)、おすすめです。

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