住 太陽について

住 太陽(すみ, もとはる)は日本のSEOコンサルタント。1999年にウェブデザイナーとして独立し、2002年には国内初となるSEO解説書を執筆。以来、多数の執筆や講演を通じて正しいSEOの普及と教育に努め、SEOの国内の第一人者として知られている。ボーディー有限会社の代表取締役であり、中小企業を対象に定額制で格安のSEOコンサルティングを提供している。2007年、第19回堺自由都市文学賞受賞。

活動履歴ダイジェスト

活動履歴の一部を抜粋して、執筆、講演、インタビューのそれぞれの分野でこれまでお世話になった団体や企業を一覧にしておきます。お仕事の依頼の参考にどうぞ。また、より詳しい活動履歴については詳細な活動履歴に記載があります。

講演

講演のお仕事で呼んでいただいた行政機関、団体、企業のうち、主なものは以下の通りです(敬称略・順不同)。主に中小企業のウェブマーケティングについて多数の講演実績があります。

執筆

執筆のお仕事をご依頼いただいた出版社、各種団体、メディア企業のうち、主なものは以下の通りです(敬称略・順不同)。書籍や雑誌、ウェブメディアで多数の執筆をこなしています。テーマはSEOや検索マーケティングを主に扱っています。

インタビュー

インタビューしていただいた出版社、新聞社、その他メディア企業のうち、主なものは以下の通りです(敬称略・順不同)。検索業界の動向を中心に、ソーシャルメディアやウェブマーケティングについての解説をしています。

長い自己紹介

旅する毎日

講演やコンサルティングで全国を回る仕事は、僕にとってまさに天職です。地方への訪問は楽しみが尽きることがなく、訪問するたび心躍ります。全国どこへ行ってもその土地に特有の風土や文化、つまりは個性があり、また、訪れたそのときにしか味わえない気候や景観や食べ物があります。これらが楽しみで仕方がないという僕の性格の背景は、幼少期からの暮らしにあります。

父が転勤族だった僕は、子供の頃から様々な場所で暮らしてきました。生まれたのは岡山県、幼稚園入園は沖縄県、小学校入学は愛知県、小学校低学年から20年ほどは千葉県で暮らしましたので、出身地を聞かれれば千葉と答えます。直前の住所地は大阪府堺市で、そこでは18年ほど暮らしました。大げさに言えば僕はこれまで、関東、中部、関西、中国、九州の各地方で暮らしてきたわけです。

斜里岳

そして僕は順調に、たいへんな旅好きに育ちました。今も仕事にかこつけては、趣味のオートバイに跨がって全国を旅する毎日です。そうした趣味の面からだけでなく、仕事の面からも、地方企業の仕事は僕にとって天職です。なぜなら僕自身もまた、僕のクライアントと同じように、地方に在住しながらウェブを通じて全国から仕事を得て生きているからです。

地方の市場は縮小する一方で、地元からの売上げだけで十分という地方企業は稀です。このため多くの地方企業が、ウェブを使って広く全国を商圏にすべく、生き残りを賭けて挑戦しています。それは僕にとっても同じです。僕は自分自身もクライアントと同じ挑戦をしながら、クライアントと同じ気持ちで、クライアントを支援しているのです。

悔いのない仕事

僕自身について説明するとき、オートバイとの付き合いを省くことはできません。僕の生活や仕事には、オートバイ特有の性質やライダー独特の文化が強く影響しているからです。このページでは、最近の旅先で撮ってきたツーリング写真を織り交ぜながら、僕の自己紹介を進めていきたいと思います。まずは、ライダーの死生観の話からです。

磐梯吾妻道路

ここで質問です。
あなたは「今日が人生最後の日になるかもしれない」という仮定で物事を考えたことがあるでしょうか? あるとしたら、その頻度はどれほどでしょうか?

ライダーにとって死は身近なものです。出かける準備をするとき、オートバイに跨がって出発するとき、いつもごく自然に、それきり帰宅できなくなる可能性を意識します。今日の仕事が人生最後の仕事になるかもしれない。今日が人生最後の日になるかもしれない。ライダーである僕にとって、そうした仮定は日常の一部です。

阿蘇五岳の涅槃像

こうした僕のライダーとしての感覚は、仕事にも強く影響しています。今日の仕事が人生最後の仕事になるかもしれないと考えながら、それでも今日、重要でない仕事を優先できるでしょうか? やりたい挑戦を先延ばしできるでしょうか? クライアントに対して情報を出し惜しみしたり、仕事の手を抜いたりできるでしょうか?

後悔の中で人生が終了する瞬間を迎えたい人はいないでしょう。もちろん僕も後悔はいやです。そしてライダーである僕は、瞬間瞬間を悔いなく生きなければ、次の瞬間には後悔の中で最期を迎えるかもしれないということを、日常の中で意識しています。ライダーとして死を予感する日々はつまり、覚悟を新たにする日々です。

知床峠

そして無事にその日の旅や仕事を終え、宿や家に帰り着くことができれば、無事でいられた幸運に感謝します。ライダーとしての毎日は、死を覚悟する日々である一方で、生きていることの不思議さや尊さを実感する日々でもあります。こうした日々を送っていることが、僕のすべての根底です。

攻める勇気、引き返す勇気

次に大胆さと慎重さの話をしましょう。長年にわたって無事にライダーであり続けるためには、ライダーは大胆さと慎重さを兼ね備えていなければなりません。これは仕事においても同じことですが、仕事の話は後ですることにして、ここはオートバイの話から始めます。

阿蘇外輪山

オートバイの運転には全身を使います。オートバイが加速するとき、ライダーの身体には後ろに置いていかれるような力がかかります。減速するときには、前に放り出されるような力がかかります。しかしオートバイには背もたれもシートベルトもつり革もありませんから、ライダーはそれらの力を下半身で支えなければなりません。

そのほか、カーブを曲がる、段差を乗り越える、荒れた路面を走る、強風に煽られるなど、様々なシーンで様々な力が加わり、ライダーは全身を使ってそれらの力とのバランスを取り、車体の安定を保ちます。予測を含めた素早い状況判断と、状況を先取りする正確な操作が要求され、それらを躊躇なく全身で実行する大胆さがなければなりません。

二口峠

そうした大胆さにもまして、より重要なのは慎重さです。オートバイは生身のまま跨がって乗るものであり、自動車のように身体を守る鉄の箱はありません。このため、ほんの小さなミスでさえも命取りになり得ます。大胆に攻めるだけでは命がいくつあっても足りません。疲れれば休み、道が困難なら引き返す勇気が必要です。

これらは僕の仕事上の指針、とりわけSEOにおける指針に強く影響しています。目的地に達するのがたった一度きりでいいなら、状況に関わらずスロットル全開で攻めまくるのもよいでしょう。運さえ良ければ、他者を出し抜いて一着で目的地につけるかもしれません。しかしそうした暴走行為を繰り返していては、安定的かつ長期的な旅などあり得ません。

薩埵峠

2000年頃からの日本におけるSEOの歴史の中で、一着を取ることに固執するあまり暴走を繰り返し、速度超過のようなことで検挙された者や、事故を起こして同乗者もろとも再起不能になった者は数知れません。それは自分の技術や体力を過信した結果であり、状況を甘く見た結果であり、つまりは慎重さを欠き判断を誤った結果です。

僕が恐れるのは、一着を取れないことではなく、旅が終わることです。無事に帰ることができれば、また次の旅に出ることもできます。しかし免許や健康や命を失えば、旅はそこで終わりです。もちろん職業人の僕は、挑戦し前進することを強く志向しています。しかし同時に、慎重さを忘れない僕もいて、攻守のバランスを取っているのです。

情報を発信することへの想い

磐梯吾妻道路

この項では少しオートバイの話題から離れて、よく尋ねられる「なぜこの仕事を選んだのか」について話しましょう。同世代の人々からすればそう早いとは言えない1998年に、僕は初めて自分の専用のインターネット環境を整えました。20代も後半のときのことで、今のように独立する前のことです。

ウェブの世界に触れたそのときの感動は、今も忘れることはできません。まだ市場としての価値を持っていなかった当時のウェブは、お役立ち情報があふれる夢の図書館のようでした。ウェブサイトの運営者たちは、些細なものから重要なものまで、様々な知識を無償で公開していました。ウェブは自分の知識を他の人に分け与える人々によって作られており、僕はそれらを利用して様々な知識を得ました。

宇曽利湖

当時は回線も検索も貧弱でしたから、目的の情報を見つけるにはいつも苦労させられました。しかし苦労の末、まさに自分が探しているような情報を見つけたときには、それを無償で提供してくれた発信者に対して大いに感謝したものです。そして自然な流れとして、自分も発信者になって誰かの役に立ちたいと願うようになりました。

  • 多くの人たちが無償で持ち寄った情報に、僕は大いに助けられた
  • 僕もまた発信者となってその恩返をし、ウェブの世界に貢献したい
  • より多くの人が発信者になれるよう、僕は制作技術の提供者になろう

僕が1999年にウェブ制作の仕事で独立した背景には、上のような経緯がありました。その当時から今に至るまで、僕にとっての一貫した指針は「利用者にとって探す価値のある情報を発信すれば、それは見つけてもらえる」というものです。検索が進化した今は昔よりはずっと楽になりましたが、それでも僕たちは必要な情報を求めて検索する毎日です。

サイトを見てもらうためには、利用者の自発的な意志で見つけてもらわなければなりません。見つけてもらうためには、探し当てる価値のある情報を掲載しなければなりません。2000年頃にSEOに出会い、それを業務の基幹に据えるようになってからも「まずは価値ある情報の発信ありき」という僕の指針は変化していません。

千里浜

ウェブの世界は変化を続けており、巨大な図書館のようなものから巨大な市場のようなものになり、今では巨大な社交場のようです。しかしそこで流通しているものの本質が情報であることだけは変わっていませんし、今後も変わらないでしょう。情報を伝える媒体が検索であれクチコミであれ、見るべき価値のあるものが見られるという原則は変わりません。

僕はウェブデザイナーとして独立し、すぐにSEOに出会ったことでウェブマーケターのような仕事をするようになり、今はコンサルティングを主業務にしています。一見すると関連の薄そうに見えるこれらの業務は僕にとって「クライアントの情報発信をサポートする」というこの一点においてまったく共通しています。

売らずに売るというスタイル

僕は強引に売り込むのが苦手です。売り込みの技能については人並みかそれ以上に持っているつもりですが、自分の商品を売り込むことに強い抵抗感があるためです。この抵抗感は、20代前半の頃に経験した営業職に起因します。この営業の仕事はかなり強引なもので、期間こそ短かったものの、営業の仕事は僕に強烈な精神的苦痛をもたらし、その後の考え方まで変えてしまうほどでした。

剣山林道

すべてのセールストークや営業は、僕が経験したものほどではないにしても、相手の無知につけ込んだり、相手の判断力を奪うような要素を含んでいます。僕はそうしたことに罪悪感を覚えます。無知につけ込んだり判断力を奪ったりして強引に売りつけるのではなく、中立かつ公正な知識を相手に与え、相手の理性的な判断によって自分の商品を選んでもらう、というのが僕にとっての理想です。

僕以外の人が売り込みをすることについては何とも思いません。売り込みは普通のことですし、不十分ならもっとやれとも思います。今ではその手法について指導すらしています。しかし自分のこととなると致命的なまでに苦手で、いつも「どうしたら売らずに売れるだろう」と考えてきました。その答えが今のスタイルで、それは以下のようなものです。

  • 知識を無償提供することで、利用者を無知から救い出す
  • 有用な情報源として覚えてもらい、親しみや信頼を獲得する
  • 必要が生じたとき、築いてきた信頼に基づいて依頼をもらう

僕の仕事では、お客さまのことをクライアント(依頼者)と呼びます。このクライアント(依頼者)という呼称は、僕にとって重要な意味を持っています。依頼者というのは「自分の意思で自発的に僕に依頼する人」であって「僕に何かを売りつけられた人」ではありません。つまり僕の仕事はその性質からして、売らずに売らなければならないものなのです。

剣山林道

僕たちはいい時代に生きています。情報発信の場があり、情報伝達を効率化する手段があります。手をかけて情報を発信すれば、売らずに売ることは難しくありません。過去に抱いたストレスを感じる必要はなくなり、オートバイで旅をするだけの時間的余裕も作れました。時間的余裕よりも金銭的余裕を重視する人なら、同じやり方でより多くを稼ぐことも可能でしょう。

ゆっくり走ることで見えるもの

草千里

僕が今のように頻繁にツーリングに出かけるようになったのは、実はわりと最近のことです。それ以前からオートバイには乗り続けていますし、旅も好きでしたが、その両者がつながることはありませんでした。僕のオートバイの利用と言えばずっと、単なる移動か競技が中心で、旅行には自動車や公共交通機関を使っていました。

それが一変したのは2010年の春、KLX125という小さなオートバイを衝動買いしたときです。このオートバイの出力はたった10psほどしかなく、トルクは1kgf·mにも満たないという非力さで、僕がそれまで乗ったことのあるどのオートバイよりも遅いものです。道路交通法では小型自動二輪(運送車両法では原付二種)に分類され、高速道路や高規格道路も走れません。

沈下橋

そのおかげで僕は新たに、道中で気軽に寄り道をしたり、山中深く分け入ったり、航路があればフェリーで船旅を楽しんだり、といった楽しみを知りました。また無理をせず早めに投宿し、温泉でゆっくりすることも覚えました。スピードを落とすことで、旅が楽しめるようになったのです。そして以前にも増して旅が好きになりました。

御竈門山

オートバイは、夏は暑く冬は寒く、雨が降れば濡れ、雪が降れば滑り、事故に遭えば自分が怪我をする乗り物です。荷物もほとんど積載できません。不便で、危険で、過酷です。心に余裕がなければ、そうした不自由を楽しむことはできないでしょう。オートバイに速さだけを求めていた以前の僕には、そうした余裕はありませんでした。

ところが、オートバイに積めるだけの荷物しか持たず、たった一人で地方の県道や林道を使って旅をしていると、見える風景すら変わってくるから不思議なものです。自然の美しさや厳しさ、出会う人々の温かさ、晴れの日の清々しさ、雨の日の憂鬱さ、夕暮れの寂しさなどに対する感受性も高まったように思います。

浄土平

なお、このページに掲載の写真に写っているオートバイは、先述したKLX125と、2013年に買い換えたKLX250です。ただし写真には一部、初心者が不用意に踏み込めば命取りになるような難所が含まれていることに注意してください。オフロードバイクの走破性は素晴らしいものですが、ライダーに腕がなければとても危険です。くれぐれも真似はしないようにしてください。

挑戦するということ

神威岬

最後の話は挑戦についてです。仮にあなたが「いずれまとまった時間ができたらオートバイで全国を旅したい」と願っているとしましょう。しかし願うだけで具体的な行動を何も起こさずにいたら、そのまとまった時間がが訪れることは永遠にないでしょう。もし訪れたとしても、オートバイの旅をするだけの体力は失われ、旅に感動する感性も目減りしているかもしれません。

人生の時間は、失ってしまえば二度と取り返せません。重要な仕事を先延ばしにすべきでないのと同じように、重要な楽しみもまた先延ばしにすべきではない、というのが僕の考えです。必要だと思ったことはすぐにも始めなければなりません。これはあらゆる挑戦についても同じです。挑戦すべきことは常にあり、始めなければそれを達成することもありません。

天狗高原

挑戦があれば必ず失敗もあります。失敗を確実に避けるための唯一の方法は、挑戦そのものを避けることだけです。失敗は恐れの対象ではなく、成長のステップです。ここで詳しくは語りませんが、僕も今まで数多くの失敗をしてきました。それらはすべて僕の血肉になっていますし、今までと同様これからも、僕は多くの挑戦をし、失敗するでしょう。

ここで一つだけ、仕事にもオートバイにも関係のない僕の挑戦を紹介したいと思います。まずは、2007年7月31日付の読売新聞大阪本社版(近畿二府四県と、山口県を除く中国四国地方、福井県、および三重県の一部)に掲載された以下の記事をご覧ください(全国版にも同じ記事が顔写真なしで出ました)。

2007-07-31-2

続いて次の記事は、同日同紙の堺泉州地域欄に掲載されたものです。

2007-07-31

ごく簡単に言えば、短い小説を書いて読売新聞協賛の地方文学賞を受賞した、という話です。国内外からの274編の応募作の中からの受賞で、堺自由都市文学賞のそれまで19回の歴史の中で初の、主催自治体の地元堺市からの受賞者となりました。次の記事は同じ年の8月22日、全国版の「顔」欄に掲載されたときのものです。

2007-08-22

上の記事は僕のお気に入りです。短い文面の中に、僕の様々な経験(あまり自慢にならない)がうまく盛り込まれ、僕の考え方やその背景、どういった人々にシンパシーを感じるのかといった人生観や仕事観が簡潔に記されています。ここまでこのページで長々と書き綴ってきた僕の文章と比べると、さすが大手新聞の社会部記者さんの文章は違います。

ともあれ僕がこの話を紹介したのは、僕が様々な挑戦を楽しんでいるということをお伝えするためです。オジサンになっても、人は新しく何かを学び、成長することができます。学ぶとは単に知識を詰め込むことではなく、経験を通じて自分自身を変えていく成長のプロセスです。そしてすべての経験は、挑戦しなければ得られません。

オホーツクの平野

さて、お会いした人によく尋ねられることを中心に文章を連ねてきましたが、とりあえずここまでにしましょう。僕のことを少しは知ってもらえたとのではないか思います。もし十分でなかったなら、今度お会いした時にでも尋ねてください。僕は以下で紹介するとおり、いつも全国を走り回っています。あなたにお会いする機会もきっとあるでしょう。

詳細な活動履歴

これまでの活動履歴のうち、公開可能なもの(個別のクライアントに関するものやクローズドの勉強会における講師などを除いたもの)の中から、主なものについて少し詳しく紹介します。また一部のリンク先は Internet Archive を使用しています。このリストは不定期にアップデートされますが、ほとんどいつも更新が滞っており、直近のものの掲載はありません。ご了承ください。

2023年

2022年

2021年

2020年

2019年

2018年

2017年

2016年

2015年

2014年

2013年

2012年

2011年

2010年

2009年

2008年

2007年

2006年

2005年

2004年

2003年

2002年

講演・執筆のご依頼

講演または執筆のご依頼は随時お受けしています。特に地方での講演は大歓迎です。お問い合わせは以下のフォームからお願いします。

問い合わせフォーム

    会社名または団体名(記入必須)
    お名前 (必須)
    メールアドレス (必須)
    メッセージ本文